キャリア教育ヒントボックス
空を見上げて 風を感じて
気象予報士 森田 美砂子(もりた・みさこ)さん
「気象予報士」と聞いて、即座に思い浮かべるのはどんな姿だろう。やはり、テレビ画面の中の、いわゆる「お天気キャスター」ではないだろうか。しかし、現在5,500人以上いるという気象予報士。テレビ画面の中で仕事をしている人は少数派だ。気象予報士という資格を得た人が、どんな思いで、どんな仕事に就いているのか。株式会社eTENで働く気象予報士、森田さんを訪ねた。
そもそも
気象予報士とは
1993年5月に改正された気象業務法により、「民間の気象会社は現象の予想を気象予報士に行わせること」が義務づけられた。それを受けて誕生したのが、国家資格である気象予報士制度。気象予報士は、気象庁から提供される高度な気象データを適切に処理し、気象予報を行うことができる、いわば気象データの翻訳家、まさに「気象のスペシャリスト」だ。
1994年8月の第1回試験以降、気象予報士試験は毎年1月と8月の2回行われ、すでに試験回数は25回。合格者の総数も6千人に近づいている。とは言え、受験資格に制限がないことから受験者数も多く、合格率は平均6.2%と低い数字になっている。
「難しい難しいってよく言われますけど、中学生で合格した方がいるくらいですし、そんなには難しくないんですよ」と笑う森田さん。しかし、大阪大学理学部で数学を専攻し、普段から気象に興味を持っていた森田さんでさえ、1度の受験ですんなり合格できたわけではない。
すべてが
天気と結びついている
天気予報をもっと身近なものにするため、気象データを翻訳する際はできるだけ平易な言葉に置き換えたいと森田さん。「1時間に20ミリの雨が降る、と言ってもピンと来ない方が多いと思います。むしろ、どしゃ降りになるので、がけ崩れにも注意が必要ですと言った方が分かりやすいですよね」
「まさに自然児でした(笑)。愛知の山の中で育って、走り回って日が暮れるような、そんな子ども時代を過ごしました」
自然とふれあい、空を見上げ、星を数えた日々。どうして雨が降るのか、どうして風が吹くのか、その1つ1つの現象が森田さんの心をとらえていた。
「お天気には、必ず明快な理由があるんです。雲の形にも、雷が鳴るのも、空に虹がかかるのも、それぞれに理由がある。そんな数学的な部分に引かれていたのかもしれませんね」
気象予報士の資格が設立されたとき、森田さんは高校生だった。当然のように、資格のことは森田さんの耳にも入る。
「試験案内のパンフレットは手にしましたが、受験したいとまでは思いませんでした。資格を取った先が見えなかったんですね」
2000年、大学を卒業し、森田さんは株式会社東芝に入社。金融系システムの開発に従事することになる。システムエンジニアとして忙しい日々。
「やりがいはありました。でも、私のしたかったことは本当にこの仕事なのか、分からなくなってきちゃったんです。もっとエンドユーザーに近いところに行きたい、ダイレクトに反応が伝わってくる仕事がしたい、と思うようになって」
仕事帰りにふと見上げる空。刻々と変わる空の色、雲の形。
「この世の中に、天気が影響を与えていないことなんて、ないんです」
空への好奇心が、まるで夏の入道雲のようにむくむくとわき上がった。
仕事をしながら気象予報士の勉強を始めた森田さん。仕事の行き帰り、電車に揺られる時間を勉強時間に充てた。
2001年8月、初めて挑んだ試験は、残念ながら不合格。しかし、翌年の1月、2度目の受験で森田さんは見事、その資格を手にすることとなる。合格率は5.3%の難関だった。
資格を活かす場がない!
厳しい現実
「お天気によって選択していることって多いですよね。今日はお布団を干そう!とか、今日は折りたたみ傘を持って行こうかな、とか。より確実にその選択のお手伝いができれば、と思います」
「でも、資格で食べていけるほど甘くないんですよね」 当たり前のことだが、気象予報士とは「資格」であって「職業」ではない。難関を突破して気象予報士の資格を得たとしても、その資格を活かせる職場はまだまだ少ない。気象予報士という資格はゴールではなく、スタートなのだ。
気象関係の会社を回り、転職の機会を探る。しかし、求人はほぼゼロに等しかったと森田さん。
世間は夏休み。森田さんは、とあるイベントを手伝う機会を得た。それは、夏休みの子ども向けお天気イベント。気象予報士として初めての仕事がそれだった。子どもたちのお天気の謎に答える森田さん。謎が解けた瞬間の子どもたちの笑顔が眩しかった。
「e-天気.net」 http://www.e-tenki.net/
森田さんが勤務する株式会社eTENの気象コンテンツサイト。「台風発生」「梅雨明け」など、お天気に関するニュースが報じられると途端にアクセス数が跳ね上がるという。
「このチャンスを逃しちゃいけない!と思いました(笑)。そのイベントを主催していたのが、今の会社だったんです」
2002年11月、日本初の気象情報専門チャンネル「e-天気.net」を抱える株式会社スペースシャワーネットワーク(のちにお天気部門が株式会社eTENとして独立)に入社。再び空を見上げる毎日がスタートした。