キャリア教育ヒントボックス

法を「活かす」専門家として人の痛みが分かる弁護士でありたい
弁護士 野村吉太郎(のむら・よしたろう)さん

「異議あり!」---ドラマやゲームなどで目にし、一度はあこがれた人も多いであろう弁護士という職業。しかし、その道が遠く険しいものであることもまた周知の事実である。今回はそんな弁護士の世界に触れるべく、赤坂野村総合法律事務所に野村吉太郎さんを訪ねた。

政治・経済の中心で自分の力を試してみたい

「政治・経済の中心で自分の力を試してみたい」

「同時進行で扱っている案件は20〜30件ほどです。多い人は100件ぐらい同時に扱いますから、私は少ない方ですね」

野村さんが軽々と2桁の数字を口にする。弁護士という職業に求められる能力の高さを想像するに、一瞬、二の句が継げなくなる。

野村さんを長とする赤坂野村総合法律事務所は、その名の通り東京都港区赤坂に位置する。大分県出身の野村さんが、なぜ東京都心に事務所を構えようと考えるに至ったか伺ってみた。

「やはり東京は政治・経済の中心です。その東京で、自分がどれだけやれるか試してみたかったんです」

ちょっとカッコよすぎるかな、と笑う野村さん。鋭い眼光の持ち主が気を抜いた一瞬の笑顔がやさしい。

科学者にあこがれていた少年時代

野村さん座右の銘

毎年お正月は大分の実家へ帰るという野村さんの座右の銘は「知・仁・勇」。「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」という弁護士法・第1章・第1条に基づいている。

「小学生の頃は、ちょうど『鉄腕アトム』や『鉄人28号』の世代ですから、科学者に憧れました。ただ、数学がもうひとつで」

とは言え、勉強自体は嫌いではなかったと野村さん。

「百科事典を拾い読むのが好きでしたね。広く知識を身に付ける、という意味では、今に役立っているのかもしれません」

父親は瓦工場を経営。野村さんは長男でもあり、親としては工場を継がせたかったでしょうねと野村さんは言う。

そんな野村さんが弁護士に興味を持ったのは、父親の知人の影響だった。父親が経営者になる以前に勤めていた会社の息子さんが弁護士で、しかも大学の教授。

「父にとっても憧れの存在だったようです。とても頭のいい人で」

自然と野村さんも憧れるようになり、いつしか「弁護士になるか瓦工場を継ぐか」の二者択一になっていた。

「ずっと、普通のサラリーマンにはなりたくないと思っていました」

学園紛争を引きずっていた70年代後半

学区外の大分雄城台高校へ、下宿しながら通っていた野村さんは、大学受験を前にして弁護士への道を選ぶ。

「阪大、日大、中大といずれも法学部を受けて、阪大には落ちましたが、影響を受けた教授が日大の教授でしたから、あまり迷うことなく日大に入りました」

大学に入り、司法試験に向けて勉強の毎日。が、時は1970年代後半。学園紛争末期のくすぶりから大学はロックアウトされ、およそ1カ月の間、休講が続いた。

「ちょうど大学2年の秋でした。試験勉強の毎日に不意に虚しさを覚えてしまって、学生新聞を作る集まりに入ったんです。そこでジャーナリスティックな討論に参加したり、学生新聞を作ったりするようになって」

今になってみれば、それも視野を広げるためのいい経験になったと野村さん。その頃の友人は多くが新聞記者となり、最前線で働いているという。

8度目の試験で無事合格を果たす

野村さんが弁護士になるまで

「合格したときには27歳10カ月でした」

大学3年で初めて司法試験を受験。それから6年ののち見事合格を果たした野村さんは、在学中も就職活動はせず、卒業後も予備校や大学の研究室に通いつつ勉強を続けた。

「大学を卒業して3年ほどで、試験に受かるかどうか自信がなくなって、断念しかけたこともあります」

野村さんは一旦、大分へ帰り、自分を見つめ直すことにした。瓦工場を継ぐのか、それとも諦めず弁護士を目指すのか。

たまたま新聞で、劇作家のつかこうへいさんの軌跡をつづった記事を読んだ野村さん。そこには、なかなか芽が出ず、挫けそうになって一旦田舎に帰ったつかさんの体験が記されていたという。

「こんな有名な人でもそんなことがあったんだ、と、励まされる思いでした」

東京に戻り、勉強を再開。数えること8度目の受験での合格だった。

「長さ重視」ではなく「実力重視」の世界へ

野村さんが合格した当時は、合格後2年間の司法研修(現在は1年6カ月)の中で裁判官・検察官・弁護士それぞれの実務を体験し、最終的にその3つのうちどの道を歩むか選択する、というシステムだった。

「実は、検察の世界にも魅力を感じていたんです」

そう語る野村さん。しかし、実際の現場を見て、聞いて、自分は役人にはなれないと悟ったという。

「役人の世界では、早く試験に受かった人が大事にされるんですね。定年まで、どれだけ長く役所にいるかということが大事なんです。定年を60歳とすると、25歳でスタートなら35年間、40歳でスタートなら20年間ですから、当然25歳スタートの方が有利なわけです」

30歳でスタートとなる自分は、遅くはないけれど早くもない。しかし、勤務期間重視の役人の世界には魅力を感じられなかったと野村さん。

「やっぱり、自分の実力を試したかったんです。実力主義の方が面白いと思ったんですね」