キャリア教育ヒントボックス
「仕組み」への好奇心「ものづくり」へのこだわり
「木のからくり」作家 からくり工房・工遊館
高橋 みのる(たかはし・みのる)さん
足りないものを知る
作品に込められた工夫やその思いを語る高橋さんの笑顔は少年のように輝く。
子ども時代からの長年の積み重ねの上に、今や著名なコンクールでも連続入賞する力をつけた高橋さんは、からくり作りの腕とアイデアには自信があった。しかしその一方で、これを仕事にしようとするとき、自らに欠けているものもまた自覚していたという。
それは、人脈と営業力だった。
趣味としてではなく、それをなりわいにして行こうと決意した瞬間から、高橋さんは「欠けているもの」とまっすぐに向き合い、それを克服することを目指してきた。伝統工芸品を作る工房は、その意味で理想的な職場だった。仕事の中で本来の「ものづくり」の腕を磨けるばかりか、工芸品を「売る」過程を目の当たりにすることで、自らに欠けていたさまざまのことを身に付けていくことができたからだ。
4年間の工房生活を経て、自分の作品を世に問うための術を身に付けた高橋さんは、いよいよ自分の足で歩み出す時を迎えていた。個人工房の旗揚げである。
プロとしての作品づくり
からくりの企画・設計段階やそのプレゼンテーションには積極的にコンピュータを駆使する高橋さんだが、最終的な作品制作は、やはり自らの手と、しっくりなじんだ道具たちとにかかっている。ナイフも自分の手や作業のクセに合わせて自作したものだ。
社会に出て以来初めて、自分の自由になる時間を手に入れた高橋さん。その足は海外・フランスへと向かった。
オルセー美術館はじめ、各地の美術館などを訪ね歩いた高橋さんは、その美の伝統に強いショックを受けたという。
「それだけが原因ではないんでしょうが、だんだんと自分の作品作りが変わってきましたね」
かつては三面図など、製図的な趣の強かったアイデアスケッチも、より全体のフォルムを意識した「絵」に変わってきたのがこのころだ。「美」への意識と同時に、「からくり」のからくりたるゆえんである歯車などのメカニズムが、もはやあえて図にしなくても頭の中に描くことができるようになっていたのかもしれない。
からくり自体の仕組みの面白さはそのままに、もっと見せる、楽しませる作品へ。それは同時に、高橋さんがプロへと飛躍したことをも意味していた。
そして、そうした飛躍が世間の目にとまるまでに時間はかからなかった。独立後間もない1993年、東京・銀座でもっとも多くの人の目を集めるとも言われるソニービルの秋のウインドーディスプレイ制作を依頼され、以後5年にわたり、その大役を果たすことになる。
県立三沢航空科学館には木で作られた飛行船(前ページ写真)のほかに、その精巧なミニチュアが金属で作られ、収められている。その脇に並べたのは、工房を訪れた幼稚園の子どもによる感謝の絵だ。
2000年には人気番組『TVチャンピオン』で開催された「木のおもちゃ職人選手権」で見事優勝を飾るなど、世間の目に触れる機会が機会をよび、それが作家としての高橋さんの仕事を増やすことにもつながっていった。
賞を取ることが嬉しかったアマチュア時代。プロとなって年月を経た今は「見積もり依頼や注文」を受けることこそが何よりの喜びだと笑う高橋さん。それは決して対価に執着するがゆえの言葉ではない。プロとしての自負心が言わせる言葉なのだ。
褒められて
創造力は花開く
国際ジュニアロボコンのために制作した「森政弘カップ」。六角ボルトをモチーフにした全体の形の面白さと、精密な内部構造により「技道」の文字が浮かび上がるからくりが見事な調和を見せている。
「子どもはみんなものづくりが大好きなんです。それが将来につながっていくかどうかは、ものづくりを豊富に体験できる環境と、その作品を『褒められる』体験にかかっているんじゃないでしょうか。私もそうでしたが、褒めてくれる大人が近くにいると、子どもの創造力ってグングンふくらんでいくんですよ」
そう話す高橋さんは、そんな子どもたちの瞳を輝かせる取り組みも続けてきた。
その一つが、自分の工房へ子どもたちを招待すること。元々近所の幼稚園からの要望で始まったという工房訪問だが、今では高橋さんにとっても、子どもたちにとっても、楽しみな行事になっているという。
二つ目は 「ロボコン」への協力だ。地元八戸から全国の中学ロボコンに影響を与え続ける市立大館中学校の下山先生は、高橋さんと「ものづくり」で共鳴した仲。市内で開催されるロボコンに審査員として参加するほか、国際ジュニアロボコンに向け、ロボコンの主唱者の名を冠した「森政弘カップ」(右写真)を木のからくりで制作している。
そしてもうひとつ。青森県三沢空港に隣接して建設された「青森県立三沢航空科学館」のシンボルモニュメントして「木のからくり飛行船」(前ページ写真)を制作。物語を思わせる雄大なスケールの作品は、子どもたちの夢を日々大きく育んでいる。
「今日は『えんぶり』が始まる日でしたから、街角で子どもたちの舞をご覧になったでしょう? あの笑顔が本当にいいんですよね」
郷土の祭りを誇らしげに語る高橋さんの笑顔には、子どもたちへの愛情があふれていた。そのものづくりの魂は、さまざまな形で、これからの世代に伝えられていくに違いない。
>>高橋みのるさんの生き方年表はこちら!