キャリア教育ヒントボックス
人が好き だから、その暮らしを守りたい
沖縄県警察警部 豊見城警察署交通課課長
島田 ちさ子(しまだ・ちさこ)さん
「あの制服を着て働きたい!」そんなあこがれを抱いて警察の門を叩いた少女がいた。新人もベテランもない、制服を身に着けた瞬間から一警察官として市民の信頼に応えなくてはならない厳しい仕事に、体当たりで挑戦し続けたその少女は今、沖縄県警初の女性警部として、市民の暮らしを守り続けている。日々「信頼される警察官」を目指し続けたいという、島田ちさ子さんにお話を伺った。
女性だから頑張れた
2003年春、沖縄県警に初の女性警部が誕生した。それが今回お会いした島田ちさ子警部だ。
報道され話題になる部分だけを見れば、沖縄の治安を守る県警の最前線で活躍し「女性初」の道を切り開いてきた人、ということになる。
けれども、そうした華やかさだけで語るには、警察の仕事はあまりに過酷なのではないか。
島田さんがこの仕事を選び、そして歩み続けているその原動力はいったい何なのだろうか。
初めてお会いした島田さんは、眼鏡の奥の瞳を和らげてこう言った。
「女性なのに大変ですねと言われるんですけど、私の場合、女性だから頑張ってこられた部分もあるんですよ。それに、警察の仕事って、どこまでも人間と接する仕事なんです。その人たちとのつながりが、私を支えてくれているんだと思いますね」
まるで謎かけのような、島田さんのそんな言葉から、インタビューはスタートした。
この制服にあこがれて
大らかでのびやかな南国のムード漂う外観の豊見城警察署。しかし、市民の暮らしを守る戦いの厳しさはどの警察署でも変わることはない。
制服の胸に輝く警察官バッジには、誇りと厳しさ、そしてその責任の重みが込められている。
昭和47年。沖縄県立真和志高校を卒業した島田さんが選んだ職場は、沖縄県警察だった。その動機は、なんと「制服へのあこがれ」だったという。
「制服って、すごくカッコイイじゃないですか。それをビシッと着こなすような仕事に就きたかったんです。もう、本当にそれだけで」と笑う島田さん。
おてんばで身体を動かすことが何より大好きだったという少女が、制服へのあこがれだけを胸に県警の門を叩いたのだった。
当初は交通整理などに専従の交通巡視員として採用された後、警察官採用試験を受け直し、晴れて「お巡りさん」に。
最初の勤務は地域の交番(当時は派出所)からスタートした。警察というより迷子預かり所のようだったと振り返るその勤務の後、島田さんは那覇警察署の刑事課へと配属されることになった。
「単純にあこがれていた制服も、それを着れば新人でもベテランでも同じ警察官なんです。ですが私が本当の意味で警察官になっていったのは、刑事課に配属されてからのことかもしれませんね」
警察官に「なっていく」日々
かつて関わった事件、ことに女性を傷つける性犯罪について語るとき、島田さんの表情は被害者の痛みを代弁するかのように厳しいものになった。それでも、立ち直った被害者たちの笑顔に出会えたときには、心からの喜びを感じるという。
刑事課の仕事は、我々が報道を通じてイメージするものよりもっと地道で、しかしときにはドラマで見るよりはるかに過酷なものだ。必要とあらば暴力と直接対峙(たいじ)し犯人逮捕にこぎ着けるなど、肉体的にも厳しい勤務が続く。時に人を疑わねばならないこともあり、また犯人を捕らえることを通じて、警察官という仕事の責任とその厳しさが、島田さんの胸に迫ってきたのがこの時期だ。
だが、島田さんにとって、とりわけ警察の仕事の重みを思い知らされたのは、やはり「人」との触れ合いの中の出来事だった。
「女性警察官には、女性ゆえの役割というのがあります。特に性犯罪に関わる捜査では犯罪者を割り出すために、被害女性にその時の様子を何から何まで聞き出さなくてはならないんです」
被害者にとっては思い出したくない、今すぐに忘れてしまいたいはずの出来事を聞き出す事情聴取は、並大抵の心構えではできないことだ。
「聞いている私も本当に辛くなる。メモを取っては席を立って、涙をふいては席に戻るの繰り返しでした」
心に深い傷を受けた被害者を少しでも癒やそうと、手紙や電話のやりとりを何年も続けたり、犯罪被害経験者の手記を手渡したりしたこともある。
「事情聴取で聞き取った話のショッキングさに、私自身が精神的な二次被害を受けてしまって、夜道を歩けなくなったこともありました」と島田さん。
しかし、被害者にそのような痛みを負わせた犯罪者を絶対に許さない、そんな気持ちも同時に強まっていった。