キャリア教育ヒントボックス

机上の計算より、まず行動! 果敢な挑戦が幸運の連鎖を呼ぶ
アホウドリの積極的保護に取り組む東邦大学教授
長谷川 博(はせがわ・ひろし)先生

第1段階は総数1,000羽超

安定したコロニー

ハチジョウススキが生育し、安定したコロニー。
(写真:長谷川先生)

鳥島に上陸し、アホウドリの現状を目の当たりにした長谷川先生は、最初の目標を「総数1,000羽」とした。初上陸時に観測できたアホウドリの数は、成鳥とヒナを合わせても100羽に満たなかった。

「僕が初めて鳥島に上陸したとき目にしたアホウドリは、時々なわばり争いをしてお互いに激しくつつきあっていたんですよ。『ただでさえ数が少ないんだから仲良くすればいいのに』なんて思うこっちの感傷や同情なんておかまいナシの彼らの姿が、ただ、ただ毅然として美しかったですね」

コロニーは斜面に位置している。しかし、その斜面には草がない。火山灰むき出しの地面は、なんと傾斜23度。

「すぐに草を植えよう、と思いました。適度な草があれば地面が安定して、親鳥も丈夫な巣を作れる。卵が巣から転がり出てしまう危険性も減らせるし、強風にヒナが飛ばされてしまうこともない」

とは言え、当時まだ大学院生だった長谷川先生に、それを実行できる資金はなかった。鳥島から帰った長谷川先生のもとには東邦大学理学部の助手に採用という通知が届いていたが、それでも、すぐに資金をひねり出すことは不可能だった。

長谷川先生は「みやこ」にお願いし地道に調査を続ける傍ら、アホウドリに対する積極的保護をアピールした。徐々に協力者が増え、1981〜1982年には環境庁と東京都がハチジョウススキの株をコロニーに移植する工事を実施。長谷川先生はその工事の指揮に当たった。

単純に言えば「草を植えただけ」である。しかし効果は劇的だった。移植は平均44%だった繁殖成功率が、移植後は67%にまで引き上げられたのだ。

その後も、アホウドリにとってより快適な環境作りに励み、最初の目標だった「1,000羽」は、1999年にクリアした。

 

第2段階は新コロニー形成

デコイとアホウドリ

手前左が本物のアホウドリ。他はすべてデコイ。(写真:長谷川先生)

長谷川先生の次なる目標は「新コロニーの形成」だった。斜面のコロニーは泥流の発生など環境的には決して恵まれていない。しかし、島の反対側には理想的なコロニーとなりうる土地がある。

デコイと呼ばれる実物そっくりの模型と鳴き声でアホウドリを誘引し、新コロニーを形成させる。これは別の鳥での成功例があり、長谷川先生はその前例を参考に保護計画を練った。

ここでもまた偶然の出会いがあった。バードカービングの第一人者・内山春雄(うちやま・はるお)氏が、ラジオで偶然「デコイ作戦」の話を聞き、協力を申し出てくれたのだ。手間ヒマかかる精巧なデコイは、こうして完成に至った。

1991年からテストを重ね、誘引効果を確かめたのち、1993年3月、新コロニー候補地にデコイ50体を並べ、アホウドリの求愛の時の声と、コロニー全体のざわざわした音の放送を開始した。

「すぐに若鳥がやってきました。次にやってきた鳥も着陸して、2羽は求愛行動を始めたんです。僕が調査を始めてから16年間、1度としてアホウドリが着陸したことのなかった場所で、です」

当時の興奮が長谷川先生の表情によみがえる。2004年、新コロニーでは4つがいが繁殖。卵を生んだ。こうして第2の目標はクリアとなった。

第3段階は非火山島への移住

鳥島は火山島である。しかもその活動は活発であり、いつまた噴火するか分からない。過去に大噴火を起こし、島民が全滅した歴史もある。直近では2002年にも小規模の噴火が起こっている。

長谷川先生の第3の目標は、噴火の心配のない島に新コロニーを形成することだ。かつてコロニーがあった小笠原諸島・聟島列島がその候補地となるが、相手が自然災害だけに悠長に構えてはいられない。

長谷川先生の計画はこうだ。まず候補地にデコイを置き、コロニーを形成しているように見せかける。そこにヒナを移し、人間が育て、ヒナに場所を覚えさせる。そのヒナが成長して繁殖開始年齢(平均7歳)に達した時、育てた場所に戻って繁殖するよう環境を整える。

「ざっと見積もって15〜20年かかるような計画です。僕はその成果を見届けられないかもしれない。でも、アホウドリ完全復活へ向けて、歩みは止めません」

彼らにふさわしい名で呼びたい

優しいまなざしでデコイのレプリカを見つめる長谷川博先生

実物大のデコイのレプリカを前に。アホウドリの大きさを実感していただけるだろうか。長谷川先生の、わが子を見守るかのような視線があたたかい。

長谷川博先生の生き方年表へ

アホウドリの積極的保護のため走り出した長谷川先生の思いは、当時も今も変わっていない。

「何もせずに放っておいて、アホウドリをそのまま絶滅させてしまったとしたら、恥どころか罪ですよ。例え上手くいかなくても、一所懸命考えて努力して、それでダメだったのなら仕方ない。世界の人も将来の人も納得してくれると思うんです」

とにかく、自分でやれるところまでやる。中途半端じゃ夢は叶えられないと長谷川先生は語る。

「机上で考えて、ダメそうだからやめる、じゃ前には進めないですよ。一歩踏み出してから考えればいいんです。到底実現不可能に思えるようなことでも、実際にやってみれば意外とできることも多いし、行動することで解決の糸口が見つかることもある。そして1つ壁を突破すれば次の道が見えてくる。人間はその繰り返しで成長していくんだと思いますね」

視点を動かさないと同じ風景しか見えない。動けば同じ風景でも違った景色に見える。道を切り開いてきた長谷川先生ならではの言葉だ。

長谷川先生は、「アホウドリ」という標準和名が「オキノタユウ(沖の大夫)」に改称されることを望んでいる。

「だって、あんまりひどい名前で呼んだら失礼じゃないですか(笑)」

 

アホウドリ復活への軌跡
http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/

取材/西尾真澄 撮影/西尾琢郎
※本文中の情報は、すべて取材時のものです。